パラリンピック

唐澤剣也のwikiは?プロフィールや経歴やガイドや出身中学高校大学や結婚や家族についても!

競技歴わずかにも関わらず、急成長し、東京パラリンピックで金メダル獲得を狙うアスリートがいます。

視覚障害陸上男子5000mの唐澤剣也(からさわけんや)選手です。

唐澤選手は、競技を初めて2年で世界大会出場を果たした逸材です。

今回は、唐澤剣也選手のwiki風プロフィールや経歴、ガイドランナーや出身中学,高校,大学、結婚や彼女、家族(父親,母親,兄弟,姉妹)について調査していきたいと思います。

また、唐澤選手の気になる実力についても調べていきたいと思います。

では、詳しく見ていきましょう。

唐澤剣也のwiki風プロフィールと経歴

唐澤剣也選手には、wikipediaがありませんので、wiki風にプロフィールを見ていきましょう。

  • 氏名:唐澤剣也(からさわけんや)
  • 生年月日:1994年7月3日
  • 年齢:26歳(2020年11月現在)
  • 身長:163cm
  • 体重:53kg
  • 血液型:調査中
  • 出身地:群馬県渋川市
  • 所属:群馬県社会福祉事業団点字図書館

唐澤選手は、まだ26歳という若さのフレッシュな選手です。

そして、なんと競技歴が4年であるという驚くべき実力の持ち主です。

では、唐澤選手の詳しい経歴を見ていきましょう。

唐澤選手は、群馬県渋川市出身です。

生まれた時から、先天性の網膜剥離を患っており、弱視の状態であったそうです。

網膜剥離とは、網膜に穴が空き、そこから網膜の下に水が入り込み起こる病気だそうです。剥離した網膜は、徐々に機能を失っていき失明に至ります。

群馬県渋川市の小学校に入学しますが、小学校4年生の時に網膜剥離が進行していき、視力失います。

視力を失い、通常の学校生活が困難になったことから、群馬県の盲学校に転校をしたそうです。

幼少期に視力を失うなど、とても考えられないことで非常に怖いですよね。

唐澤選手は、小学部を卒業後、中学部に入学するとスポーツに興味を持ち始めます。

この時は、走ることが好きなだけで、マラソンをメインに行ってはいなかったそうです。

体を動かしていく中で、中学3年生の時には、1500m走で中学大会記録を作りました。

いきなり中学記録を樹立するなど世界的な選手に化ける片鱗を見せていますよね。

そんな中、唐澤選手は、中学部を卒業する時に病気の進行で、光覚を失い視力がゼロになってしまったことから、遂に全盲になってしまいます。

全盲にはなってしまったものの、そのまま高等部普通科へと進学し、その後、盲学校専攻科理療科に入学しました。

そして、驚くべきことに唐澤選手は、この理療科時代にも1500mで大会記録を樹立してしまいます。

本当に陸上のセンスがあるとしか思えないですね。

唐澤選手は、2016年に理療科を卒業しました。

卒業の最中、その年開催していたリオパラリンピックを目にし、自分と同じ視覚障害の選手が活躍している姿を知ったそうです。

そして、自分も挑戦してみたいと考え、本格的に東京パラリンピックを目指し始めました。

唐澤選手は、懸命に練習を重ねていき、なんとマラソンを始めて2年余りの2018年に初の国際大会に出場してしまいます。

そしてなんと、その2018年アジアパラリンピック競技大会で初出場ながら、5000mで金メダル、1500mで銅メダルを獲得したのです。

それから、1年後の2019年世界選手権の5000mにて、銅メダルを獲得し、東京パラリンピック出場内定を決めました。

凄まじいスピードで成長をしていき、瞬く間に世界の舞台に躍り出た実力は、計り知れないことがよくわかりますね。

唐澤剣也のガイドランナーは星野和昭?

唐澤剣也選手のガイドランナーは、星野和昭選手と茂木洋晃選手です。

ガイドランナーとは、視覚障害のある選手と共に走り、競技中に選手に指示を出すことや、ロープを使って帯同するなどします。

5000m以上では、ガイドランナーは2人まで認められており、レース中に1度だけ交代できるそうです。

左の選手が星野和昭選手です。

星野和昭選手は、平成16年に國學院大学卒業のボランティアのガイドランナー兼指導者です。

昭和56年生まれの38歳で、群馬県片品村の出身です。

星野選手は、本人も日本代表のアスリートとしてスカイランニングでは、平成27年のアジア選手権で3位、平成28年には世界選手権に出場しました。

さらに、スキーモと呼ばれる山岳スキーでも平成31年に世界選手権に日本代表として出場したそうです。

星野選手は、自身が通っている鍼灸マッサージ院の院長の紹介で、東京パラリンピック出場に向けた唐澤選手への指導とガイドランナーを依頼されました。

練習の全体的なメニューを組み立てるのは、星野選手だそうです。

最初は、健常者しか指導してこなかったことから、全盲の唐澤選手に対する指導方法がわからず苦労したと言います。

そこで、星野選手の筋肉を唐澤選手に触らせ、視覚に頼らせずに腕振りを再現出来るようにさせるという練習を行ったそうです。

星野選手は、「唐澤選手が培ってきた努力を実らせてあげなければならない。しっかりと金メダルを手にしてもらいたい。」と語っています。

星野選手自身が世界選手権に出場していることから、パラリンピック出場を目指す唐澤選手にとっては、安心出来る存在なのでしょうね。

続いては、茂木洋晃選手を見ていきましょう。

左の男性が茂木選手です。

茂木洋晃選手は、1995年生まれで東京農業大学卒業の選手です。

自身も箱根駅伝の選手として活躍していたようで、茂木選手も依頼を受けたことから、ガイドランナーとして活動を始めます。

当初は、大学を卒業してからは、完全に陸上を離れるつもりだったそうで、数回手伝ったら辞めようと思っていたそうです。

しかし、唐澤選手が本気でパラリンピック出場を目指している姿を見ていると、自分ももっと応援をしたいという気持ちが芽生え始めます。

そして、自分自身も初心を思い出したことで、もう1度走ることの楽しさを実感する事が出来、競技を続けることが出来たそうです。

このことから、もう1度陸上の舞台に戻ることを決め、現在までの活躍に至るといいます。

唐澤選手は、人の心までも自分の走りで動かすことが出来るのがよくわかる一幕ですね。

 

唐澤剣也の出身中学,高校,大学は?

唐澤剣也選手の出身中学,高校,大学はどこなのか見ていきましょう。

唐澤選手の出身中学は、群馬県立盲学校中学部です。

唐澤選手は、この盲学校で高等部普通科とその職業課程である専攻科理療科を卒業しています。

理療科とは、盲学校の高等部に設けられている職業課程で、あん摩マッサージ師や鍼灸師を養成するのを目的としているものだそうです。

唐澤選手は、この課程であん摩マッサージ師や鍼灸師の国家資格を取得しました。

幼少期から成人まで様々な年齢の方達が学んでおり、点字による読み書きや言語理解、言語表現の力を養っているそうです。

そして、唐澤選手のスポーツとの出会いの原点も盲学校であり、もちろん陸上も行われています。

なんと週3回の朝練習も行われているそうです。

群馬県立盲学校の周辺地図です。

 

唐澤選手は現在、群馬県社会福祉事業団点字図書館で勤務をしています。

唐澤剣也の結婚(妻嫁)や彼女は?

唐澤剣也選手の結婚(妻嫁)や彼女について情報を調べましたが、残念ながら詳しいものはありませんでした。

唐澤選手は、急成長している選手であり、練習はかなり忙しく交際者を作る時間はあまりないのかも知れません。

若しくは、世界的に活躍しているアスリートであり、普段は普通に図書館で勤務をしていることから、私生活についてはあまり明かしていないのかも知れませんね。

唐澤剣也の家族(父親,母親,兄弟姉妹)

唐澤剣也選手の家族(父親,母親,兄弟姉妹)について見ていきましょう。

残念ながら、唐澤選手のご家族についても調べましたが、詳しい情報は無く、SNSにもプライベートなどの情報は上がっていませんでした。

唐澤選手は、群馬県渋川市出身ですので、ご家族はその周辺にお住まいなのではないかと推察されます。

また、家族以外にも唐澤選手の盲学校の先輩で、鍼灸マッサージ院を経営している清野衣里子(せいのえりこ)さんという方とは、公私で関わりがあるようです。

右の女性が清野さんです。

とても笑顔が素敵な方で、この写真を見るとまるで母親のような印象です。

清野さんは、唐澤選手の練習後の体のマッサージやケアに加え、大会では熱い声援を送るなどとても家族に近いサポートをしています。

ガイドランナーの星野選手や茂木選手も清野さんの紹介だそうです。

ご家族やサポートをしてくれている方々の力を糧にして世界でも優秀な成績を残しているのがよく分かりますね。

唐澤剣也のパラ陸上の実力は?

唐澤選手のパラ陸上の実力は如何ほどなのか見ていきましょう。

なんと唐澤選手の世界ランキングはぶっちぎりの1位です!
2位の外国人選手に1分以上の差をつけての記録を持っています。
出典:https://db.ipc-services.org/sdms/web/ranking/at/pdf/type/WR/list/748/category/out/gender/M/evt/050/class/T11

唐澤選手は、視覚障害陸上男子5000mの選手で、そのクラスは、T11というクラスになります。

陸上競技の中では競走種目は、Tとなり、跳躍種目は、Fの記載となるそうです。

後ろの数字は、視覚障害は11〜14で、唐澤選手は全盲なので最も重い11となります。

唐澤選手の走りの特徴は、身長163cmと男性では小柄ながらも体型を生かしたピッチ走法による粘り強い走りです。

東京オリンピック内定の2019年世界選手権での走りがそれを象徴しています。

下が世界選手権の動画です。

スタート直後の唐澤選手は、集団の中盤に位置しており、順位を6〜7位につけていました。

中盤に入っても変わらぬレース展開となっていました。

ところが、動画上では13分辺り、距離にして4000mを超えた辺りから、外枠から大きく周り込み、先頭集団に順位を上げました。

ほとんどスピードを落とすことなく、粘り強い走りで最後の400mを向かえたのです。

そして、最後の400mは外国人選手に離されながらも、見事3位となり銅メダルを獲得したのです。

見ていて、とても目が見えない方の走りとは思えません。

近年の大会成績を見ていきましょう。

近年の成績

2018年:インドネシア2018アジアパラ競技大会 5000m1位 16分17秒65、1500m3位 4分23秒24
2019年:ドバイ世界パラ陸上競技選手権大会 5000m3位 15分48秒21 東京大会内定
2020年2月:第69回別府大分毎日マラソン 2時間36分54秒
2020年9月:第31回日本パラ陸上競技選手権 5000m 15分33秒64 世界ランキング1位、1500m 4分07秒72

年を重ねていく度に凄みを増していくのがわかりますね。

力強く、そして、最後まで諦めない気持ちがパラリンピック出場を呼び込んだのでしょう。

終わりに

唐澤謙也選手は、年齢が26歳と若く、そのフレッシュな走りから東京大会でのメダル獲得が有力視出来る選手です。

星野和昭選手と茂木洋晃選手という安定感と実力のあるガイドランナーがいるのも期待出来る一つとも言えます。

ですが、唐澤選手自身の走りは、自身の弛まぬ努力で作り上げたものであり、非常に粘り強く、世界に十分通用することがわかります。

練習だけでなく体の細かいケアなどで怪我することなく、真っ直ぐと大会に臨んで欲しいですね。

全盲というハンデを飛び越えて、世界一に輝くであろう唐澤剣也選手から目が離せません。

これからの活躍に期待していきましょう!

 

 

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