パラリンピック

山本篤(パラ)のプロフィール│事故や結婚の嫁妻や出身中学高校大学や家族についても!

パラスポーツの世界で、このアスリートのことを知らない者はいないと言われている選手がいます。

パラ陸上競技男子走り幅跳びの山本篤(やまもとあつし)選手です。

山本選手は、パラリンピックに3大会連続出場し、国内・国際大会においても優秀な成績を納めています。

今回は、山本篤(パラ)選手のプロフィールや経歴、事故についてや結婚の嫁妻や出身中学高校大学、家族について調査したいと思います。

また、世界でも有数とも言えるその実力についても調べていきます。

では、詳しく見ていきましょう。

山本篤(パラ)のプロフィールと経歴

山本篤(パラ)選手のプロフィールと経歴を見ていきましょう。

  • 氏名:山本篤(やまもとあつし)
  • 生年月日:1982年4月19日
  • 年齢:38歳(2020年11月現在)
  • 出身地:静岡県掛川市
  • 身長:167cm
  • 体重:59kg
  • 血液型:調査中
  • 所属:新日本住設株式会社
  • クラス:T63

山本篤選手は、身長167cmとアスリートとしては、あまり体が大きいわけではありません。

ところが、走り幅跳びでのその跳躍力は、6m以上にも及びます。

また、陸上だけでなく、スノーボードをすることも好きなようです。

出身は、静岡県掛川市であり、これまでの様々な功績で地元掛川市から「掛川市市民栄誉賞」を、その他多方面から数々の賞を受賞しています。

イベントやテレビ番組、ラジオ番組など沢山のメディアに出演するなど、スポーツ界のみならず角界マルチに活躍している選手です。

では、山本選手の経歴を詳しく見ていきましょう。

山本篤選手は、スポーツが大好きで、小学校では野球、中学高校では、バレーボール部に所属していたそうです。

なんでも高校生の頃は、垂直跳びで驚異の1m超えのジャンプ力を持っていたとか!

現在の走り幅跳びに通ずるジャンプ力は、元から持ち合わせていたものであることがよくわかりますね。

ところが、高校在学中にバイク事故を起こし、左脚を切断することになってしまいます。

高校卒業後は、左脚の切断で義足をつけ始めたことで、義足に興味を持ったことから、義肢装具士を目指します。

義肢装具士の専門学校で、当時の同級生から陸上を薦められ、競技用義足と出会ったことで、陸上の道に進み始めたそうです。

山本選手は、競技用義足で練習し始めると、メキメキと記録を伸ばしていきます。

競技を初めて、わずか2年ほどの2002年、関東身体障害者陸上競技選手権大会で当時の日本記録にあと0.2秒に迫る記録で優勝しました。

自然とアテネパラリンピック出場を目指して練習をしていくようになったそうです。

ところが、2004年のアテネパラリンピックの選考会では、標準記録を切ることが出来ず、代表に召集されませんでした。

山本選手は、「どんな競技でも誰よりも早く上達することが出来たし、結果を出すことが出来た。でも、自分は落選した。人生で初めてのことだった。」と語ったそうです。

しかし、この落選が陸上への気持ちをさらに高めたといいます。

悔しい気持ちをバネにして、次に進んでいこうと考えたのですね。

そして、山本選手は、陸上に本格的に取り組むために、決まっていた義肢装具士の就職を取りやめ、大阪体育大学に入学しました。

陸上部に入部し、健常者と共にトレーニングすることで、100mや走り幅跳びで日本記録を次々に塗り替えていったそうです。

大学卒業後は、2008年にスズキ自動車に入社します。

2008年の北京パラリンピックには、初出場し、走り幅跳びで見事銀メダルを獲得。

義足アスリートとして初のメダリストとなりました。

さらに、大会後も記録を更新し続けます。

2012年のロンドンパラリンピックでは、100mm6位、走り幅跳び5位入賞します。

2013年、2015年のIPC陸上競技世界選手権大会では、走り幅跳びで金メダルを獲得、2連覇を達成したそうです。

2016年には、日本パラ陸上競技選手権大会で世界記録を更新し、同年のリオパラリンピックでは、走り幅跳びで銀メダル、4×100mリレーで銅メダルを獲得しました。

その後、東京パラリンピックを見据えて、2017年にスズキ自動車を退社、新日本住設株式会社とスポンサー契約を結び、プロへと転身します。

そして、トレーニングを重ねていき、2019年世界パラ陸上競技選手権の走り幅跳びで銅メダルを獲得し、東京パラリンピック出場内定が決まりました。

本当に考えられないくらいの記録を叩き出し続けていますよね。

この記録を出し続けるメンタルが世界と対等に競い合う為には必要なのでしょう。

山本篤(パラ)の事故について

山本篤(パラ)選手の事故について見ていきましょう。

山本選手は、高校2年生の春休みにスクーターで事故を起こしてしまいます。

その日、山本選手は風邪薬を飲んでいたそうです。

薬の影響からか、運転中に眠気を催してしまい、カーブで転倒し滑ってガードレールに脚が衝突する事故に見舞われてしまいます。

即入院したそうですが、その事故によって、左脛骨を粉砕骨折。

さらに、医師からは、壊死してきているので左太腿から切断する必要があると宣告されたそうです。

切断を受け入れ手術をしました。

ところが、手術成功後、絶望に飲み込まれているかと思いきや山本選手は、母親にこう言ったそうです。

「今写真撮ったほうがいいんじゃない?有名になった時に使えるよ。」

未来ある若者が自身の脚を切断したならば、絶望に打ちひしがれるのが普通でしょう。

しかし、山本選手は、前向きにこの言葉を話した後、すぐにリハビリを開始したそうです。

このさっぱりとした考え方は、山本選手のある心情からきています。

「悶々と悩んでいるのが一番苦しい。前に進めばそこから抜け出せる。」

この心情を胸に、現実を受け入れ、陸上と出会ったことで世界で活躍するトップアスリートなったのです。

自分の脚が無くなってしまっても、すぐに切り替えて進んでいけるとは並のメンタルではないのがわかりますね。

また、山本選手は、脚が無くなってもスノボーはやりたい、と言ったこともあるそうで、立ち止まらずに進み続けたいんだという気持ちが本当に良く伝わります。

山本篤(パラ)の結婚の嫁妻や彼女の情報

山本篤(パラ)の気になる結婚の嫁妻や彼女についての情報を調査してみましょう。

山本選手は、現在結婚されています。

奥さんの名前は、山本幸子(やまもとさちこ)さん。

幸子さんは、小学校の先生をやっているそうです。

とても美人な方ですね。非常に仲が良さそうで、山本選手ととてもお似合いですね。

さらに、2018年には第一子である息子の駿太(しゅんた)君が生まれています。

とても可愛らしいですね。

良く似ていますし、山本選手のイクメンぶりが窺えるワンショットですね。

インスタグラムには、駿太くんとの写真が何枚かアップされており、子煩悩な印象を受けました。

きっと駿太くんのことが本当に可愛いのでしょうね。

山本篤(パラ)の出身中学,高校,大学は?

山本篤(パラ)の出身中学,高校,大学について見ていきましょう。

山本篤選手の出身中学校を調べたのですが、詳しい情報を調べることは出来ませんでした。

出身高校は、静岡県の県立掛川西高等学校です。

山本選手の出身が、静岡県の掛川市であり、高校も地元に通っていることから、中学校も地元の学校であることが推察されます。

高校卒業後は、義足技師になるために名古屋県にある日本聴能言語福祉学院に進学します。

この学校は、義肢装具士を養成する学校で、養成校の中で最古の歴史を持っているそうです。

山本選手は、在学中に義肢装具士の国家資格を取得しました。

その後、山本選手は、前述した通り本格的に陸上に取り組むために、大阪体育大学体育学部に進学しています。

山本選手は、大学が行うアスリートのパフォーマンス向上やサポートを実現し、スポーツ界の人材育成を行うDASHプロジェクトの認定アスリートになっているそうです。

そして、北京パラリンピック出場後は、将来指導者になることも視野に大阪体育大学大学院体育学博士課程に進み運動力学を研究した経験を持っています。

まさに、アスリートとしての実績のみならず、勉学においても様々な知見を持っている文武両道を地で行く選手ですね。

山本篤(パラ)の走幅跳の実力は?

山本篤(パラ)選手の走幅跳の実力について見ていきましょう。

山本選手の特徴は、なんと言ってもその跳躍力でしょう。

全身バネといった形で全身で飛んでいます。

また、山本選手は、走り幅跳びだけでなく、短距離種目でも様々な記録を持っています。

この走りを見ると、他の選手に比べると別格のスタートの速さなのがわかります。

一瞬の瞬発力が走り幅跳びに寄与していることがわかりますね。

山本選手は、元々踏切りの足は義足ではない方の足でした。

それを義足に変えたところ大幅に記録を伸ばすことに成功したそうです。

現在山本選手は、2019年5月北京GPで自己ベスト兼アジア記録の6m70cmの記録を保持しています。

また山本選手は、世界ランキングで2位となっています。

出典:https://db.ipc-services.org/sdms/web/ranking/at/pdf/type/WR/list/748/category/out/evt/LJP/class/T63

これは、世界ランキングに入っている日本勢の中でもぶっちぎりの記録となっています。

まさに、日本のパラ走り幅跳び界を代表する選手ですよね。

誇らしい限りです!

では、山本篤選手の近年の主な成績を見ていきましょう。

主な成績
  • 2008:北京パラリンピック 男子走り幅跳び 銀メダル、男子100m 5位
  • 2011:IPC世界陸上競技選手権 男子100m 3位、男子200m 3位、男子走り幅跳び 3位
  • 2012:ロンドンパラリンピック 男子走り幅跳び 5位、男子100m 6位、男子200m 8位、男子4×100mリレー 4位
  • 2013:IPC世界陸上競技選手権 男子走り幅跳び 1位、男子100m 4位、男子200m 4位
  • 2014:インチョン2014アジアパラ競技大会 男子100m 1位、男子走り幅跳び 1位、男子4×100mリレー 1位
  • 2016:リオパラリンピック 男子走り幅跳び 銀メダル、男子4×100mリレー 銅メダル、男子100m 7位
  • 2017:世界パラ陸上競技選手権大会 男子走り幅跳び 2位
  • 2019:世界パラ陸上競技選手権大会 男子走り幅跳び 3位
  • 2020:第25回関東パラ陸上競技選手権大会 400m 1分10秒67 世界新記録

本当に素晴らしい記録ばかりですよね。

これまでパラリンピックに出場してきた経験を余すことなく活かし、東京大会でも是非ともメダルを獲得してもらいたいものですね。

また、なんと驚くべきことに、2018年の冬季平昌パラリンピックでは、スノーボードの日本代表として出場しています。

競技の枠を超えて戦い続けている限り、これからもどんどん新たな記録を更新していくでしょう。

終わりに

山本篤選手は、これまでパラリンピックに3度出場し、経験と実力が存分に備わっている選手です。

東京パラリンピックでも大いにメダルの獲得が期待出来るでしょう。

過去の事故で脚を失っても、絶望することなく前を向き続け、一歩一歩進んで世界までたどり着きました。

現在38歳という年齢でも記録を更新し続けています。

限界は、まだまだ見えないでしょう。

今でも伸び続けているその跳躍力への期待は、日本にとっても大きな力です。

これからも山本篤選手の活躍から目が離せません。

東京オリンピックを楽しみにしましょうね!

 

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